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名曲「イマジン」はどう生まれたか

 

時代や世代、人種や国を超えて愛されている名曲のひとつ「イマジン」(Imagine)。今日は、この名曲がどのように生まれたのか、振り返ってみようと思います。

オノ・ヨーコ「イマジン」の共作者になる

1971年に発表された楽曲「イマジン」(Imagine)を作詞作曲したのは、ジョン・レノン(John Lennon)と多くの方が記憶しているのではないでしょうか。しかし、2017年以後、「イマジン」の作詞作曲者の明記が変更することになりました。2017年6月15日、全米音楽出版社協会(National Music Publishers Association, NMPA)が、オノ・ヨーコ (Yoko Ono)を共作者として認めることになったのです。(「イマジン」の歌詞はこちらで確認できます。)

出典:Wikipedia (Jack Mitchell)

息子ショーン「人生で一番誇らしい日」

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子ショーン・レノン(Sean Lennon)は、「人生で一番誇らしい日」とインスタグラムにメッセージを投稿しています。

Proudest day of my life: The National Music Publishers Association just gave the centennial (song of the century) award to Imagine, but WAIT! Surprise! They played an audio interview of my father saying (approximately) "Imagine should've been credited as a Lennon/Ono song, if it had been anyone other than my wife I would've given them credit."

僕の人生で一番誇らしい日だ。全米音楽出版社協会(NMPA)が「イマジン」を「世紀の歌」として表彰してくれたんだ。でもそれだけじゃない!サプライズがあったんだよ!NMPAが父(ジョン・レノン)のインタビューを音声で流したんだ。(おおまかな引用)「「イマジン」は「レノン/ オノ」と表記されるべきだった。自分の妻以外の人だったら、クレジットを与えていたよ」ってね。

以下の映像は、2017年の授賞式の様子です。「イマジン」が「世紀の歌」としての授賞式でしたが、ヨーコが共作者として名前がクレジットされるというのは、サプライズ演出でした。


From NMPAorg    Upload date: 2017/07/06

Cut to: mu mother welling up in tears, and then Patti and Jesse Smith @michiganmanhattan Imagine! Patience is a a virtue! (PS they officially declared Imagine to be a Lennon/Ono song and gave my mother a second award!)

母(オノ・ヨーコ)は涙くんでいたよ。その後、パティとジェシー・スミスが「イマジン」を演奏してくれたんだ。忍耐は美徳だね。(PS:「イマジン」はレノン/ オノの楽曲だと正式に認定されたよ。母に2つ目の賞をくれたんだ)


From NMPAorg    Upload date: 2017/07/06

パティ・スミスのパフォーマンスはこちら。

ジョン・レノン:BBCインタビューでヨーコの貢献を認める

BBCのインタビュー記事 その1

授賞式で流れたジョン・レノンの音声は、BBCでのインタビューからのものです。関連したところを引用してみました。

Imagine could never have been written without her. And I know she helped on a lot of the lyrics but I wasn’t man enough to let her have credit for it.

「イマジン」はヨーコなしでは書けなかったよ。歌詞を書く際、ヨーコの助けをたくさん借りたからね。でも、当時の僕は、ヨーコにクレジットをあげられるほどの男じゃなかったんだ。

So that song was actually written by John and Yoko, but I was still selfish enough and unaware enough to take her contribution without acknowledging it.

だから、この曲は実際ジョンとヨーコで書いたんだよ。でも、あの頃の自分は自己中心的で、ヨーコの貢献に気づいていなかったんだ。無意識のうちにね。

The song itself expresses what I’d learned through being with Yoko and my own feelings on it. It should really have said ‘Lennon/Ono’ on that song, because she contributed to a lot of that song.

この歌が表現しているのは、ヨーコと一緒になって学んできたことと、それに対する自分自身の気持ちなんだ。だからこの曲は本当は「レノン/ オノ」と表記されるべきなんだ。だってヨーコはこの曲にたくさん貢献しているからね。

BBC: Imagine-the-making-of-an-iconic-song

BBCの記事 その2

BBCの別の記事には、こちらの語録も紹介されています。

A lot of it - the lyric and the concept - came from Yoko, But those days I was a bit more selfish, a bit more macho, and I sort of omitted to mention her contribution. But it was right out of Grapefruit, her book. There's a whole pile of pieces about 'Imagine this' and 'Imagine that.'

歌詞やコンセプトの多くがヨーコから来ているんだ。でも、あの頃の自分は今よりちょっと自己中心的で、今よりちょっと男性優位(男尊女卑)的なところがあったから、ヨーコの貢献について言わなかった。でも、この曲はヨーコの本『グレープフルーツ』から着想を得ている。この本には「これを想像しなさい」「あれを想像しなさい」と山ほど出てくるからね。

BBC: Yoko Ono added to Imagine writing credits

「イマジン」に影響を与えた本『グレープフルーツ』

『グレープフルーツ』と『グレープフルーツ・ジュース』

ジョン・レノンが影響を受けたオノ・ヨーコの本『グレープフルーツ』(Grapefruit)の初版は、1964年に東京で500部限定で出版されました。その後、1970年に加筆された英語版が世界で発売されることになります。

出典:Wikipedia

以下の写真は、1970年に世界で発売された『グレープフルーツ』のセレクト版『グレープフルーツ・ジュース』(1998年初版)です。「ジュース」だけあって、オリジナルの原書から抜粋したものとなっています。ヨーコは英語で詩を書きましたが、『グレープフルーツ・ジュース』では、オノ・ヨーコ自身の日本語ではなく、南風椎(はせ しい)という方が訳しています。また、篠山紀信を始めとした33人の日本の写真家が、それぞれの詩句にイメージされた写真を提供した共同作品となっています。

出典:Amazon

本のタイトル『グレープフルーツ』の由来

なぜ本のタイトルに『グレープフルーツ』にしたのか、その理由を2つヨーコは語っています。1つは、ヨーコがグレープフルーツというこの果物が好きだから、というもの。

出典:Wikipedia

2つ目の理由は、グレープフルーツは「オレンジとレモンの交配による雑種」との思い込みから、グレープフルーツは「精神的な雑種」という自覚があったとのことです。このことから「日本と西洋の文化の交配の産物」を意味するのではないか、という意見があります。

したがってこの本のタイトルは、無駄を省いて本質をめざす禅的な美意識を、ジョン・ケージの周辺で考案されたコンセプチュアル・アート風の楽譜を結びつけたインストラクション作品が、日本と西洋の文化の交配の産物であることを示唆すると考えられる。

出典:「YES オノ・ヨーコ展」カタログ

同時に、否定的な側面もあるとの指摘もありました。

雑種という考え方にはしかし心理的な側面もあり、日本とアメリカのどちらも自分の国とは感じられない作家の深い思いにも関わるだろう。

出典:「YES オノ・ヨーコ展」カタログ

どちらの国にも、よりどころを見いだせない感覚をグレープフルーツを表現した可能性もある、ということでしょうか。

なぜヨーコは『グレープフルーツ』を書いたのか?

「序」にオノ・ヨーコが、なぜ『グレープフルーツ』を書いたのか、その動機を綴っています。時は、第二次世界大戦中。田舎に疎開していたヨーコですが、だんだんと食べ物がなくなり、しょげている当時7歳の弟を見て、胸が痛くなります。そこで、あることを思いつきます。それは「架空のメニュー作り」。「ねえ、何が食べたい?いちばん食べたいものは何?」「おいしいお献立を考えましょうよ。私は…」という風に、実際は食べられなくても、食べたいものをどんどんとあげていくゲームなのです。最初はちょっと驚いた様子だった弟が、早速このゲームに参加します。そして、たくさん食べ物の名前をあげた後「そんなに食べたら、おなかこわしちゃうわね」「なんだか、おなかがいっぱいになったような気がしない?」とヨーコがいいます。すると、弟はおなかがいっぱいで、もう大丈夫、といった様子で、おどけてでんぐり返しをしたそうです。

続けてヨーコは語ります。現代は、戦争中と異なり、食べ物に困ることがなくなりましたが、「精神的には、どうでしょう」と。

みんななんとなく物足りなく、おなかに風がふいているような何かに飢えているような気持ちで暮らしているのではないでしょうか。習慣的な生活だけでは、たまらない。何か新しい行為を人生につけ足したい。それが架空のメニューであるとしても……。

そのように思っている人のために、『グレープフルーツ』が書かれた、とのことです。そして、このアイデアに多大な影響を受けた一人がジョン・レノンとなるのです。

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの出会い

先程紹介したBBCのインタビュー記事には、ジョンとヨーコの出会いについても掲載されています。ジョンとの出会いについては、様々なメディアで紹介されているので、有名な話なのですが、BBCのインタビューでは次のように紹介されています。

BBC: Imagine-the-making-of-an-iconic-song

その前に、まず『釘を打つための絵』(Painting to Hammer a Nail)のことを押さえておいた方がいいですね。『グレープフルーツ』(1964年版)に収録された言葉を見てみましょう。

「釘を打つための絵」

鏡、ガラス、キャンバス、木版、金属のどれかに毎朝釘を打つ。

それから朝、

髪をとかす時に落ちた髪の毛を拾い、

打ちつけた釘にからませる。

は、画面が釘で一杯になったら終わる。

1961年冬

1966年になると、これを元に、インディカ・ギャラリー展のために作品を制作します。その作品とは、「真っ白い木製パネルに、鎖でつながれた金槌、白く塗られた椅子の上には小箱に入った釘」が展示されているのです。

展覧会に訪れた人は、それぞれ好きなように釘をパネルに打つことができます。展覧会が終了した時点で、作品は完成となります。つまり展覧会ごとに、作品の出来が変化します。ヨーコは、芸術は作家だけで作るものではない、観客と作家が共に作るものだと考えていました。この作品にも、この考えが表現されていると思います。

さて、翌年1967年にヨーコのギャラリーに、既に有名になっていたジョン・レノンが訪れます。そしてヨーコに「釘を打たせてくれ」と頼むのです。

Yoko “I said, ‘All right, if he pays five shillings, it’s okay,’ because I decided that my painting will never sell anyway.”

「わかったわ。もし5シリング払ってくれたらいいわよ」そう言ったの。だって私の作品は売れないって思い込んでいたから。

すると、ジョンはこう答えます。

John Lennon “I said, ‘Listen I’ll give you an imaginary five shillings and hammer an imaginary nail in, is that okay?’ And her whole trip is this: ‘Imagine this, imagine that.’”

僕はこう答えたよ「じゃあ君に、頭で想像した5シリングと金槌と釘を渡すよ。それでいいかい?」ってね。そうしたらヨーコは「こう想像して」「ああ想像して」って言うんだ。

ジョン、なんてカッコいい返事なんでしょう。しびれます。

Yoko “Imagine, imagine. So I was thinking, ‘Oh, here’s a guy who’s playing the same game I’m playing.’ And I was really shocked you know, I thought, ‘Who is it?’”

「想像してみて」ってね。それで私、思ってたの。私のしているゲームと同じことしている男性がいるって。とてもショックだったのよ。「この人、誰?」と思ったわ。

恐らく、ヨーコの芸術を直感的に同レベルで理解する人は限られていたのではないかと思います。更に、遊び心もあって一緒に創造できる人は。

それにしても、当時既に有名になっていたジョン・レノンを知らなかったヨーコ。次のコメントも見ていきましょう。

Yoko  “I heard about The Beatles and I knew the name Ringo, and nobody’s going to believe me but still that’s exactly how it was. Ringo hit me because Ringo is ‘apple’ in Japanese. Yes, I knew The Beatles as a social phenomenon, but rock ‘n’ roll had passed me by.”

ビートルズのことは聞いていたわ。リンゴの名前もね。誰も信じてくれないけれど、そうだったんだもの。リンゴの名前が記憶にあるのは、日本語でappleのことをリンゴと発音するからなの。ええ、社会現象としてのビートルズは知っていたけど、ロックンロールには興味なかったわね。

チヤホヤされることに慣れていたジョンにとって、ヨーコの反応は新鮮だったのかもしれません。

その後、二人は「想像してごらん 」のゲームを曲にし、そしてアルバム『イマジン』を作りあげていくことになります。

ドキュメンタリー映画『イマジン』

1988年 ドキュメンタリー映画『イマジン』

『イマジン』(Imagine: John Lennon)

1980年12月8日に、ジョン・レノンはヨーコの目の前で、マーク・チャップマンという名の男に銃で撃たれて殺されてしまいます。その8年後に、ジョン・レノンの自叙伝的ドキュメンタリー映画が公開されます。生前のレノンのインタビュー、写真など、またヨーコから提供された未公開のプライベートでの映像も見られるので、どのように『イマジン』が制作されたのかも映像で確認できます。

2018年リマスター版公開

さて、2018年10月にリマスター版『イマジン/ギミ・サム・トゥルース』が公開されました。初DVD化なのですね。そういえば、前作はVHS Videoで鑑賞していました。

以下アマゾンの商品説明です。

「アルバム『イマジン』に関連する2つの映像作品をカップリング。オリジナルのリールから1コマずつ手作業でレストアした最新リマスター映像に、新たな5.1chサラウンド・サウンドも追加、更には貴重な未公開ボーナス映像も加えた決定版として登場! 」

「今回が初DVD化となる『イマジン』は、1971年にジョンとヨーコが監督した史上初の“ビデオ・アルバム"として知られるもので、アルバムの収録曲をイマジネーション豊かな映像で彩った作品。ジョージ・ハリスンやフレッド・アステア、アンディ・ウォーホルなどもゲストで登場します。」

「アルバム『イマジン』がいかにして作られたのかを追ったドキュメンタリー。楽曲の生まれる瞬間から最終的なレコーディングまでのプロセスをカメラが捉えた、グラミー賞も受賞した画期的映像作品です。」

 

 

まとめ

本棚の整頓をしていたら、「YES YOKO ONO」展のカタログと、2004年にオノ・ヨーコの公演会に行った時のメモ書きが出てきました。今振り返ってみても、全く色褪せないと改めて確認しました。

頭のなかで想像したことが、現実を変える。目に見える風景は、私たちの頭から生み出した想像の反映にすぎないのだから。

Imagine. 想像してごらん。さて、今日、皆さんは何を想像してみますか?

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